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庚申・庚申の日・庚申の年について

庚申・庚申の日・庚申の年について 干支

自分の生まれた年が庚申であったり、カレンダー(暦)で干支が庚申だったりして気になってここを見ている方が多いと思います。

庚申は、60通りある干支の中で57番目に位置しています。

庚申とはどういうことなのか、庚申の日・庚申の年についても詳しく説明します。

また五行説や占星術における庚申についても説明します。

基本的に庚申は吉凶で言えば「吉」となる日です。

庚申について

  • 読み方(訓読み):かのえさる・こうきんのさる
  • 読み方(音読み):こうしん
  • 吉凶:吉
  • 陰陽五行思想:比和(金・金)
  • 納音:柘榴木(ざくろぼく)

庚申は60通りの干支の中で57番目に位置しています。

干支は十干(甲乙丙丁…)と十二支(子丑寅卯…)の組み合わせのことです。

元々は数詞(数を表す言葉)でしたが陰陽節・五行説等と融合していろいろな意味を持つようになりました。

庚申は、申(猿)の5巡目となっています。

庚申の年

60年周期の干支の中で57番目となる庚申は、西暦を60で割って割り切れる年=60の倍数の年となっています。

実際の庚申の年は下記のようになっています。

西暦1000年未満 60年・120年・180年・240年・300年
360年・420年・480年・540年・600年
660年・720年・780年・840年・900年
960年
西暦1000年から1999年 1020年・1080年・1140年・1200年
1260年・1320年・1380年・1440年
1500年・1560年・1620年・1680年
1740年・1800年・1860年・1920年
1980年
西暦2000年以降 2040年・2100年・2160年・2220年
2280年・2340年・2400年・2460年
2520年・2580年・2640年・2700年
2760年・2820年・2880年・2940年

ただし1860年以前の記録(書物等)の場合、旧暦による庚申の年としている場合もあります。理由は日本が新暦になったのは1873年(明治6年)からだからです。

また旧暦記載・節月記載のカレンダーの場合、旧暦や節月での干支の年を記載している場合があります。

庚申の月

干支を月に割り振って管理していた暦もあり、庚申の月というものが存在します。

今でも旧暦について詳しく書いてあるカレンダーだと月干支としてその月の干支が記載されている場合もあります。

月干支は60ヶ月周期になるため、西暦の下一桁が3か8(十干が癸か戊)の年の7月が庚申の月となります。

ただし干支月は、現在3種類あります。

  • 新暦の月にそのまま割り振る干支月
  • 旧暦の月に割り振る干支月
  • 節月に割り振る干支月

*当サイトの日々のカレンダーに記載している干支月は新暦のものと節月のものです。

参考:暦における月の3種類について

庚申の日

現在のカレンダーでも干支を日に割り振って掲載しているものがあります。

干支の日の配置は単に60個ある干支をずっと配置しているだけです。どの日にどの干支を置くというものは決まっていません。

60通りの干支が1年間をめぐるので1年で6回(稀に7回)、庚申の日があります。

吉凶や陰陽五行思想における庚申・庚申の日

庚申は干支によって1から60までの数の57番目を表すものですが、陰陽五行説と結びついて吉凶を判断することもあります。

陰陽五行思想での庚申・庚申の吉凶

陰陽五行思想では、十干の庚は「陽の金」、十二支の申は「陽の金」で、比和となっていることから「庚申」の吉凶は「吉」となっています。

庚申が基準となる選日・暦注下段

庚申が関わっている・基準となる選日暦注下段には下記のものがあります。

八専

「はっせん」と読みます。

元々は吉はますます吉になり、凶はますます凶となるとされていましたが、次第に凶の性質のみが強調されるようになり、現在では、何事もうまく行かない凶日とされています。

八専は、日の干支が壬子(甲子から数えて49番目)から癸亥(同60番目)の間の12日間の中に干、支ともに同じ五行となるものが壬子、甲寅、乙卯、丁巳、己未、庚申、辛酉、癸亥と8日あるため八専と総称されています。

己未は、八専期間の9日目、八専の6日目となります。

占星術・四柱推命における庚申・庚申の日

東洋占星術や四柱推命として庚申について説明します。

納音としての庚申

納音としての庚申は「柘榴木(ざくろぼく)」となっています。

柘榴は「ざくろ」と読みます。柘榴木でザクロの木と言う意味です。

柘榴は見た目は悪いけど実は充実しているということで、一見つきあいくく見えるけど、実際付き合ってみると良い人ということを表しています。

占星術・四柱推命における庚申

書籍や占いの流派によって、書いてあることは異なりますが庚申は概ね「手先が器用・明るい性格・最終的には成功する」ということが書かれています。

占いや流派によっては下記のように書かれています。

  • 成功と個人的業績を残せる星回り
  • 迷いなく突き進む性格
  • 強引で攻撃的な性格

迷いなく突き進む性格と強引で攻撃的な性格というのは、割と似ているので、とにかく突き進むタイプなのかもしれませんね。

庚申に関すること

庚申に関することを記していきます。

庚申にまつわる迷信:政治的変革

庚申は十干・十二支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされました。

庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされました。

そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることもありました。

庚申と道教の伝説

庚申はもともと中国の道教の伝説からきた禁忌でした。人間の体内には三尸の虫(さんしのむし・彭侯子、彭常子、命児子)が、頭と腹と足にいて、いつもその人の悪行を監視しているというものです。

60日に1度巡ってくる庚申の日の夜に人間の睡眠中をうかがって体外に抜け出して天にのぼり、天帝にその悪事を報告するというものです。そして悪事をしていれば寿命が短くなると言われていました。

これをさせないために、庚申の晩は神々をまつり、酒盛りなどをして夜を徹した訳です。善行を行うようにするとしないところがある意味人間っぽいですね。

その際、村々の中心をなす家に人々が集まり、祭祀を行った後に会食を行いました。これを庚申待・宵庚申と言います。

庚申と庚申塔・庚申塚。青面金剛と猿田彦神との結びつき

庚申待・宵庚申が日本に伝わったのは10世紀だと言われています。枕草子にも庚申待の話が出てきます。

江戸時代に入り民間でも盛んに行われるようになりました。庚申待をする講(同じ信仰を持つ人々の集まり・結社)の人々が供養のために建てた庚申塔・庚申塚は現在でも日本各地に残っています。明治時代でも普通に建てられていました。

庚申塚

明治時代に建てられた庚申塚

日本では仏教の青面金剛(しょうめんこんごう)と結ぶついたり、神道の猿田彦神と結びついて仏教・神道ともに庚申待・宵庚申が行われるようになりました。

また庚申信仰では、猿が庚申の使いとされ、青面金剛像や庚申塔には「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が刻まれることがありました。

また庚申の夜に身ごもった子供は盗人になるとされ、男女がともに過ごさないようになったり、庚申の日に結婚は禁ずるというようになりました。

今にして思えばおかしな話ですが、科学が発達していない江戸時代なら致し方ないことなのかもしれません。

庚申の日は帝釈天の縁日

柴又の帝釈天の縁日は庚申の日と決まっています。

1779(安永8)年、帝釈天の本堂改築の際に、長い間行方が分からなくなっていた、本尊である帝釈天像の板木が発見されました。

発見されたのが庚申の日だったことから、60日に一度の庚申の日が帝釈天の縁日になりました。

当時盛んだった「庚申待ち」(庚申の日に夜通し眠らない風習)と結びついて、庚申の日には人々が帝釈天まで夜に参詣する「宵庚申」が、盛んに行われたということです。

そしていつのまにか青面金剛から帝釈天を庚申の日に祀るようになったところもあります。

庚申に関するリンク

干支
1 2 3 4 5 6
甲子 乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳
7 8 9 10 11 12
庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥
13 14 15 16 17 18
丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳
19 20 21 22 23 24
壬午 癸未 甲申 乙酉 丙戌 丁亥
25 26 27 28 29 30
戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳
31 32 33 34 35 36
甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌 己亥
37 38 39 40 41 42
庚子 辛丑 壬寅 癸卯 甲辰 乙巳
43 44 45 46 47 48
丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥
49 50 51 52 53 54
壬子 癸丑 甲寅 乙卯 丙辰 丁巳
55 56 57 58 59 60
戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥

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