バレンタインデーは現在においては2月で最も大きな年中行事・歳時記とも言えるイベントですが、女性から男性にチョコレートを贈るというのはほぼ日本だけのことです。
バレンタインデーとは本体どういった日なのか、日本独自の文化に至った経緯を含めて説明します。
バレンタインデーとは
バレンタインデー日時:2月14日(新暦のみ)
バレンタインデーは、聖バレンタインデー(せいバレンタインデー)・セイントバレンタインデー(St. Valentine’s Day)とも言われる、キリスト教圏の祝いの日でした。
日本においてはバレンタインデーには2つの意味合いがあります。
- キリスト教圏におけるバレンタインデー
- 日本独自のバレンタインデー
キリスト教圏におけるバレンタインデー
キリスト教圏の国や地域において、バレンタインデーは、カップルが愛を祝う日とされています。
古代では多神教の祭日でした。
元々西暦269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した「聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日」だったと、主に西方教会の広がる地域においてかつて伝えられいます。
この日、キリスト教圏では一般に家族や恋人など大切な人に贈り物をすることが習わしとなっており、男性から女性、女性から男性という区分そのものがありません。
日本独自のバレンタインデー
日本において、バレンタインデーは、女性から男性へチョコレートを贈る日とされていますが、このようなバレンタインデーは日本と韓国のみで行われているものです。
キリスト教文化圏では無い日本では、キリスト教の行事っぽいということは知っていても、どういったキリスト教の行事であるかまで知っている人は少なくなっています。
なお2010年代後半より、批判や不満が増えてきて、バレンタインデーの形も変化してきています。
どのように変化してきたかと言えば、男女関係なく、恋愛関係関係なく、仲の良い友人にチョコレートを贈るなど、キリスト教圏に近いイベントになってきました。
キリスト教圏におけるバレンタインデーの成り立ち
キリスト教と言えば、イエス・キリストが作った宗教である認識が強いですが、実際にはユダヤ教が元であり、ローマ神話・ギリシア神話の影響を受けて、いろいろな宗派が存在しています。
大きくは、西方教会と東方教会に分かれ、西方教会は、カトリック教会・聖公会・プロテスタントと3つに分かれます。
バレンタインデーと祝いの日としているのは西方教会で、東方教会は元々は行っていませんでした。またカトリック教会においても公式にはバレンタインデーを祝日にはしていません。
バレンタインデーの紀元は実際にはローマ帝国時代、キリストが生まれる遥か前に遡るとされています。
ローマ神話でユーノという女神がいて2月14日はユーノの祝日でした。ユーノは家庭と結婚の神とされています。
ユーノの祝日である翌日の2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカーリア祭の始まる日でした。
当時若い男たちと女たちは生活が別だったとされています。
祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていて、翌日、男たちは桶から札を1枚引くことになっていました。
引いた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていたそうです。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚したと言われています。
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世(3世紀前半)は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。
キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていました。
やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令しました。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたそうです。
彼の処刑の日は、ユーノーの祝日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたと言います。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのがバレンタインデーのいくつかある説の中で最も有力な説です。
日本におけるバレンタインデーの成り立ち・歴史
日本におけるバレンタインデーは1958年(昭和33年)頃から流行りだしたと言われています。そして定着したのは1970年代後半とされています。
元々日本では男性から女性にプレゼントをするという習慣があまり無かったため、女性から男性へチョコレートを贈るというキャッチコピーにしてから徐々に流行りだしたと言われています。
バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生 氏であるとされています。
原氏はその時「一年に一度、女性から愛を打ち明けていい日」というキャッチコピーをつけたといわれていおり、口コミで広がり、マスコミも報道したそうです。
また原氏は著書の中で「1958年、当時学生だった私に、パリ在住の商社マンの先輩から寒中ハガキが届いたそうです。そのハガキには「こちら(パリ)にはチョコレートや花、カードなどを贈り合う”バレンタイン”という習慣があります」と書かれていたとのこと。
早とちりなところのある原氏は、その文章の「チョコレート」の部分だけに目がいってしまい、うっかり「ヨーロッパは女性が好きな男性にチョコレートを贈る」といった意味に取り違えてしまったのである。」と記しています。
原邦生が行ったとされるイベントは昭和33年(1958年)であるのに対し、神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の昭和11年(1936年)2月12日に外国人向け英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー(The Japan Advertiser)」に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説が最有力とされています。
他にもいくつか説はありますが、他のものは決定力が欠けています。
百貨店は2月と8月に売上が落ちると言われており「ニ八」(にっぱち)という言葉(俗語)まであります。そこで2月に売上を上げるキャンペーンは何かないか?ということで、チョコレートメーカーとともにバレンタインを流行らせよう!ということで、販促を大きく行ったことで、定着したとも言われています。その時の百貨店が伊勢丹とされています。
現在のバレンタイン
1980年代には完全に定着したバレンタインですが、そこから義理チョコという面倒な文化が生まれてきました。
職場で世話になっている上司にチョコレートを渡すというものです。
また元々は告白の意味のあったバレンタインデーですが、交際中の男性、妻から夫等、いろいろな形態に変化していきました。
義理チョコ自体は1990年代後半から減ってきているそうです。
また2000年代に入るとバレンタインによるチョコの売上も徐々に減ってきて、友チョコと呼ばれる女性同士でチョコを贈りあうというものに変化していきました。
もちろん現在でも女性から男性にチョコレートを贈るということは多いのですが、友チョコという需要もかなり大きくなっています。
人気のバレンタインチョコレート
一時期は海外ブランドの高級チョコレートを本命には贈るということで高いチョコレートが売れていましたが、友チョコが流行りだしてからは、ブランドより品質・美味しさも注目されて、北海道ブランド等の手頃な価格のチョコレートが人気になっていきました。
特にロイズは人気のブランドとなりました。
もちろん百貨店で販売されている高級ブランドチョコレートも人気です。
ただ義理チョコならロッテのチョコレートで良いのではないでしょうか?
以上、バレンタインデーについてでした。
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