数え年は、日本でも戦後(1950年くらいまで)しばらくは一般的に使われていた年齢の数え方です。
その後は、満年齢になりましたがなぜ数え年としていたのか、数え年の種類、満年齢なども含めて説明します。
数え年とは?満年齢との違いは?
数え年とは、生まれた時を1歳として、元日を迎える度に年齢を加算していく年齢の数え方です。例えば12月29日に生まれても1月1日になれば2歳ということになります。
この時点で12月29日は実年齢と2歳も差があることになります。
今は生まれた時は0歳で、誕生日を迎える度に年齢を加算していく年齢の数え方をしており、この数え方を満年齢と言い、現在の日本及びほとんどの国で満年齢が採用されています。
満年齢の数え方
満年齢の数え方の問題として思いつくのは閏年の2月29日に生まれた人についてではないでしょうか?
満年齢は法律的には誕生日の前日が年齢の加算日となっています。例えば閏年の2月29日に生まれた場合、2月28日が年齢加算日として決まっています。
4月1日生まれの場合、年齢が加算されるのが前日の3月31日なので1月から3月生まれ同様に早生まれとして学年が1つ上になります。
4月2日生まれの場合、年齢が加算されるのが前日の4月1日なので、その年に生まれた子たちと同じ学年になります。
- 4月1日生まれ:3月31日で満年齢のため1つ上の学年に
- 4月2日生まれ:4月1日で満年齢のためその学年のままに
厳密には、誕生日の前日が終了する瞬間(この場合午後12時というが、実際には午前0時と同じ)に1歳加えるとされていますが、公文書に書く場合は誕生日の前日から誕生日になって迎える年齢を書くことになっています。
数え年が使われていた理由・出生時を1歳とする理由
数え年が使われていた理由、出生時を1歳とする理由は諸説ありますが、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)以前の旧暦(太陰太陽暦)が大きく関係していると言われています。
新暦(今の暦・グレゴリオ暦)と旧暦(太陰太陽暦)の違いは下記記事を参照してください。
そして旧暦の時代、約3年に1回、閏月というものがありました。例えば8月の次の月が9月ではなく、閏8月と表現され8月が2回ある年があった訳です。
でも翌年になると閏8月は無いので、誕生日が存在しないことになります。
旧暦における1年は354日だったので1年で11日ズレることになります。3年で1ヶ月以上ズレることになります。そのため、3年に1度閏月というものを取り入れていました。
今の暦に旧暦を当てはめると2020年は閏4月、2023年は閏2月があります。
話を戻して翌年になると誕生日が存在しない人がいるため、満年齢で数えることがそもそも出来ない状態だったために数え年が一般化したと考えられています。
また出生時を1歳とする理由として下記のものが上げられます。
- 紀年法(西暦や元号などの仕組みを表すもの)に0年は存在しない(令和0年は無い)
- 学年や月、日に0年は存在せず1年・1月・1日から始まる
- 妊娠月齢なども0ヶ月ではなく1ヶ月からはじまる
- 宗教的(仏教等)な考え方に基づいている
なお数え年で年齢を伝えていた時代、西暦や元号で年を数えておらず干支(甲子・丙寅等)で数えていました。人生が50~60年の時代なので、60年周期の干支で事が足りたためです。
数え年の種類と厄除け・厄払い
数え年は生まれた時を1歳、元日になると年齢を加算する仕組みと伝えましたが、年齢加算については2種類あります。今の暦(カレンダー)を加えると3種類にもなります。
- 今の暦(新暦)の1月1日で加算する方法(一般的)
- 旧暦の1月1日で加算する方法
- 立春(2月3日か2月4日)を元日(1月1日)として加算する方法
現在では旧暦を調べることも無いため、数え年と言えば今の暦(新暦)の1月1日に年齢を加算するのが一般的です。
ただし立春を1月1日として年齢を加算するもので、今でも使われているものがあります。
それが厄払い・厄除けです。
厄除け・厄払い・節分行事は立春を1年の始まりとしている
厄年になったら厄除け・厄払いをするという人は今でも少なくありません。
- 男性の厄年(数え年):25歳・42歳・61歳
- 女性の厄年(数え年):19歳:33歳・37歳・(61歳)
この時の数え年は今の暦(新暦)の1月1日で加算する方法ですが、厄除け・厄払いをする期間は、立春(2月3日か2月4日)を1月1日として加算する方法が多いです。
- 数え年そのものは、新暦1月1日が基準
- 厄払い・厄除けは、立春が基準
片方だけが昔からの基準が残り、片方が今の基準が残っています。
厄除け・厄払いは節分(2月2日か2月3日)までに行うのが良いと言われているのは、立春が年齢加算の基準になっていたためです。
立春を迎えると1年を加算していたので、立春の前日である節分までに厄払い・厄除けをして新しい年を迎えようという思いから、節分までに行うものとされていました。
昔は旧暦の他に立春や秋分などの二十四節気も月を表すものでした。
特に農業では立春を1年の始まりとして、立春を基準として農作業の日程を考えていました。
「夏も近づく八十八夜~♪野にも山にも若葉が茂る♪」で始まる「茶摘み」の歌を聞いたことがある人も多いと思いますが、この「八十八夜」とは立春を1日目として88日目のことを表しています。
立春から88日目(5月1日か5月2日)までは、霜が降りることもあり注意しましょうという意味合いで八十八夜は生まれました。
他にも現在では使われなくなりましたが「二百十日・二百二十日」という言葉も昔は使われていました。
旧暦は太陰太陽暦で、先述した通り閏月があったり、季節感がズレることがありました。
立春や秋分などの二十四節気は太陽暦なので季節感がズレることが無いため、農作業は立春を基準に考えられていた訳です。
大きな神社でも節分や節分の少し前まで「厄除大祈祷」「厄除大祭」と名付けて厄除けを大体的に行っていることが多いです。
写真は鎌倉市の鶴岡八幡宮ですが、例年1月25日頃から1月31日まで「厄除大祈祷・厄除大祭」を行っています。
節分まで行わないのは節分に「節分祭」があるためです。
節分で豆まきをするのは「1年間の幸せを祈るため」と言われているのは、節分は大晦日と同義であり、新年を迎える立春の前日であることからです。
立春や秋分などをまとめた二十四節気は、非常に科学的なもので、太陽の動きで決められています。そのため年によって立春の日が変化します。
個人的には、1月1日の由来が明確では無い新暦よりも、きちんと由来のある二十四節気、特に立春を1月1日として世界的な基準とする方が良いと思うんですけどね。
以上、数え年についてでした。
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