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八十八夜

五節句・雑節・縁日

「夏も近づく八十八夜~♪野にも山にも若葉が茂る♪」で始まる「茶摘み」、誰もが1度は聞いたことがある唱歌(童謡)ですが、この八十八夜は何か、ご存知でしょうか?

八十八夜は雑節と呼ばれる昔からの日本の農業において重要な日となっていました。

八十八夜にはどういうことを行い、どういう起源があったのか説明します。

八十八夜とは

  • 読み方:はちじゅうはちや

八十八夜は、雑節の1つで、立春を1日目として88日目の日のことを指します。

二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変わりを、より適格に掴むために、またそれらの暦日の補助的な意味合いもあって、特別な暦日が設けられるようになりました。これを雑節と言います。
雑節のいずれもが、日本人の長い生活体験から生まれたもので、主に農作業と照らし合わされ、基本となって生まれています。
雑節は古くから日本人の生活の中に溶け込んで、年中行事・民俗行事となっていることがあります。

立春は例年2月3日か2月4日になるため、八十八夜は5月2日前後(5月1日もあり、稀に5月3日になる場合もあり)となっています。

立春と言われると昔ながらの日本の古風な考え方だと思うかもしれませんが、天文学的に計測されて日にち(時間)は決められているものです。

八十八夜の意味・成り立ち

日本に昔からある暦に関すること・雑節のほとんどは中国が起源のものですが、八十八夜は日本独自のものです。

現在の暦である新暦(グレゴリオ暦)になったのは明治6年(1873年)でしたが、それ以前は太陰太陽暦と呼ばれる旧暦が使われていました。

旧暦は月(空に浮かぶ)の満ち欠けを基準にして作られていたため、月(1月2月の月)と季節が完全には連動していませんでした。

今だと、例えば6月は梅雨の季節、3月の終わりから4月の上旬は桜の季節というように月によってどういう季節か判断出来ますが、旧暦ではこれが出来なかった訳です。

例えば新暦で2月4日だった場合、旧暦だと12月16日くらいから1月14日くらいとなっており、年によっては1ヶ月も差が生まれていた訳です。

そのため旧暦の日にちを参考にしていると、実際の季節が半月以上ズレることもあり、科学が発展していなかった明治以前の農業ではあまり参考にならなかったという欠点がりました。

それよりも太陽の動きを基準にした二十四節気の立春を基準にした方が季節が正しかったため、立春から何日目は農業において、霜に気をつけるべき、台風に気をつけるべき、という考え方が生まれてきました。

その1つが八十八夜です。

八十八夜にあたる5月2日頃までは、遅霜(遅く降る霜)が発生する時期であり、農業で育てている作物によっては大きまダメージを与えるようになっていました。

だから八十八夜くらいまでは、霜に気をつけろ!という注意喚起をするために生まれた雑節と言われています。

「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」という言葉は明治時代くらいまではよく使われていましたが、これは急に気温が下がって霜が農作物に被害を与えることを警戒した・経験したことから生まれた言葉です。

なお八十八を1文字にすると「米」という漢字になります。八十八夜は稲の種まきの時期とされていました。

八十八夜の日

八十八夜と言っても夜を指すわけではなく日にちを指します。

これからの八十八夜の時期は下記の通りです。

  • 2021年5月1日(土)
  • 2022年5月2日(月)
  • 2023年5月2日(火)
  • 2024年5月1日(水)
  • 2025年5月1日(木)
  • 2026年5月2日(土)
  • 2027年5月2日(日)
  • 2028年5月1日(月)
  • 2029年5月1日(火)
  • 2030年5月2日(木)

八十八夜のお茶は特別なお茶

手揉み茶実演

唱歌「茶摘み」でも出てくる八十八夜、茶を栽培する農家にとっては、茶摘みの時期を表していました。

なお八十八夜の頃の茶摘みは関西くらいまでで、それよりに東になると本来は少し遅くなっています。

ただ八十八夜の日に摘んだ茶(茶葉)は上等なものとされ、八十八夜に摘んだ新茶を飲むと長生きする、病気にならないと言われました。

茶摘みが有名な地域、静岡や埼玉県狭山市、京都宇治市ではイベントもこの時期に行われることが多くなっており、例えば手揉み茶実演などが行われています。

八十八夜に関すること

八十八夜に関することを記していきます。

文部省唱歌「茶摘み」は作詞・作曲は不詳

八十八夜という言葉だけは知っているきっかけとなったとも言える唱歌「茶摘み」

かなり有名な歌ですが、作詞した方も作曲した方も不詳となっており、誰が作った歌なのかわかっていません。

1912年(明治45年)に刊行された「尋常小学校 第三学年用」が初めて登場したとされています。

Wikipediaには下記のように書かれています。

1・2番とも、第3・4節は京都府綴喜郡宇治田原村(現:宇治田原町)に伝わる茶摘み歌「向こうに見えるは茶摘みじゃないか。あかねだすきに菅の笠」、「お茶を摘め摘め摘まねばならぬ。摘まにゃ田原の茶にならぬ」から取られたのではないかという説がある。

あくまでも説ではあるものの、明治時代まで八十八夜に茶摘みをするエリアは西日本エリアであり、静岡や関東で作られたものでは無いと考える方が自然だと言えます。

八十八夜に関するリンク

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