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1月1日全日本実業団駅伝・1月2日3日 箱根駅伝

1月1日全日本実業団駅伝・1月2日3日 箱根駅伝 正月・元日

お正月に見る番組と言えば、駅伝という方も多いのではないでしょうか?

1月1日は実業団駅伝・ニューイヤー駅伝、2日・3日は箱根駅伝が定番となっています。

まさに冬、お正月の風物詩と言える2つの駅伝ですが、いつから行われていたのか、説明します。

全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)

全日本実業団駅伝、通称ニューイヤー駅伝は、1957年(昭和32年)3月3日に第1回が実施されました。

日本実業団陸上競技連合が主催し、毎日新聞社、 TBSテレビ、群馬県が共催する「実業団・駅伝日本一決定戦」という位置づけの駅伝大会です。

当初は3月上旬(第4回のみ2月)に実施されていましたが、第5回(1960年)より12月中旬に実施されるようになりました。

第30回(1985年)までは三重県の伊勢志摩で実施されていましたが、第31回は滋賀県彦根市となり、第32回(1988年)からは群馬県で開催されるようになりました。

距離も大会によって異なっていましたが、2001年(第45回)から100キロに固定されました。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)

東京箱根間往復大学駅伝競走は、例年1月2日と翌3日の2日間にわたり行われる関東地方の大学駅伝の競技会(地方大会)です。

たまに全国の大学の駅伝大会と思われていますが、あきまでも関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催する、関東圏の大学の大会です。

一般には箱根駅伝(はこねえきでん)と呼ばれています。

なお「箱根駅伝」は読売新聞東京本社の登録商標となっています。

第1回は1920年(大正9年)に実施されましたが、実施は2月中旬でした。その後1月の第1土日(元旦の場合は第2土日)に実施されていましたが、1955年(昭和30年)の第31回大会から1月2日・1月3日に固定されました。

なお1941年・1942年・1944年から1946年までは実施されていません。

駅伝の歴史

駅伝、正式には駅伝競走は1917年(大正6年)に行われた「東海道駅伝徒歩競走」が競技としての駅伝の最初とされています。関東組と関西組の2チームで行われたそうです。

この時は京都の三条大橋から東京上野の不忍池まで約508kmを走り続けるという過酷なものでした。

4月27日14時にスタートして、先にゴールした関東組が到着したのは4月29日11時34分だったそうです。約70時間かけてゴールしたことになります。

なお駅伝は日本発祥の陸上競技です。

駅伝という言葉自体は日本書紀にも登場するほど古い言葉ということですが、「東海道駅伝徒歩競走」の開催にあたり、当時の大日本体育協会副会長および神宮皇學館館長・武田千代三郎が競技名を「駅伝」と名づけたそうです。

当時江戸時代における東海道五十三次における伝馬制からヒントを得たと言われています。

首都と地方の間の道路網に30里(約16km)毎に置かれた中継所のことを「駅」といい、ここに宿泊施設や人、馬を配置していました。

駅に朝廷の使者が到着すると、次の駅まで乗り継ぎの馬を用意する仕組みが整っており、この制度を「駅制と伝馬制」あるいは「駅伝貢進」と言いました。いわゆる飛脚のことです。

以上、お正月の風物詩、駅伝についてでした。

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