二百十日 および 二百二十日は、雑節の1つで、立春を1日目として210日目と220日目を指します。
あまり聞くことの無い雑節ですが、どういう意味があり、どういう経緯で作られた雑節なのか説明します。
二百十日・二百二十日とは
- 二百十日の読み方:にひゃくとおか
- 二百ニ十日の読み方:にひゃくはつか
現在ではほぼ使われることの無い雑節です。
雑節のいずれもが、日本人の長い生活体験から生まれたもので、主に農作業と照らし合わされ、基本となって生まれています。
雑節は古くから日本人の生活の中に溶け込んで、年中行事・民俗行事となっていることがあります。
立春は例年2月3日か2月4日になるため、二百十日は9月1日頃、二百二十日は9月11日頃になります。
二百十日は8月31日になることもありますし、過去には9月2日になることもありましたが、今後100年以上、9月2日になることは現状無いとされています。
次に二百十日が9月2日になるのは2203年とされており、それまでは8月31日か9月1日となっています。
二百十日と二百二十日の意味と成り立ち
旧暦の時代、月日が実際の季節感とズレることが多く、農作業をする上ではあまり参考になっていませんでした。
例えば、今なら6月の中旬になったから、そろそろ紫陽花の季節だな~とか、8月後半から9月は台風の季節だな~と思ったりも出来ますが、旧暦だとそうはいかないのが実情でした。
例えば新暦で2月4日だった場合、旧暦だと12月16日くらいから1月14日くらいとなっており、年によっては1ヶ月も差が生まれていました。
それでは農作業を計画的に行うことが出来ないため、農業に関係する日を太陽の動きを基準にしている二十四節気の立春を基準に考えるようになりました。
その1つで今でも使われている言葉(雑節)が八十八夜です。八十八夜は立春を1日目とした88日目のことです。
二百十日と二百二十日も同じで、立春を1日目とした210日目と220日目のことを表しています。
二百十日は9月1日前後、二百二十日は9月11日前後であり、ちょうど台風の季節です。
ちょうどこの頃は、稲が開花する時期であり、台風が来てしまうと大きな損害となります。
だから二百十日と二百二十日という日を作って、厄日として気をつける時期としていました。きっと神仏に祈っていたのでしょうね。
似たような言葉で「八朔」という言葉があります。旧暦の8月1日のことです。
概ね旧暦の8月1日は二百十日・二百二十日くらいの時期になるため、八朔・二百十日・二百二十日は、農家にとっての三大厄日とされていたそうです。
二百二十日はいつ頃から暦に記載されたのか、定かではありませんが、二百十日は1630年から1640年には記載されていたそうです。
今も台風は農家に大きな影響を与えますが、台風予測がかなり発達した現在では、二百十日や二百二十日という曖昧なデータを使わなくてもよくなったため、自然と二百十日・二百二十日という言葉・雑節が使われなくなりました。
なお暦に関することは中国が元となっていることが多いのですが、二百十日と二百二十日は日本で作られた・考えられたものです。
二百十日・二百二十日の日
二百十日及び二百二十日は下記の日となっています。
二百十日
- 2021年:8月31日
- 2022年:9月1日
- 2023年:9月1日
- 2024年:8月31日
- 2025年:8月31日
二百二十日
- 2021年:9月10日
- 2022年:9月11日
- 2023年:9月11日
- 2024年:9月10日
- 2025年:9月10日
二百十日・二百二十日に関すること
二百十日・二百二十日に関することを記していきます。
二百十日を題材にした小説
二百十日と聞いて、夏目漱石を想像された方も多いと思います。二百十日は、夏目漱石の中篇小説です。
1906年(明治36年)に発表された作品ですが、夏目漱石の小説の中ではあまり語られることが無い作品となっています。管理人は夏目漱石のファンですが、どうしても「こころ」や「それから」に目がいってしまうんですよね。
また宮沢賢治の「風の又三郎」の作品中では9月1日が二百十日でした。
二百十日は鎮風祭の起源
日本各地で9月1日前後に行われる「鎮風祭」は、二百十日が起源だったとされていることがあります。
奈良県の大和神社の「鎮風祭」、富山県の「おわら風の盆」などは二百十日が起源とされています(異説もあります)。
防災の日は二百十日にも起因
9月1日は「防災の日」であり、9月1日に決められた理由は1923年9月1日に発生した関東大震災が理由となっています。この年の二百十日は9月2日だったため、二百十日では無かったものの、従来の二百十日と合わせて災害の認識・心構え・準備を喚起する人して制定されたとしています。
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