八朔は、旧暦の8月1日を指す言葉で、八月朔日を略した言葉です。旧暦8月1日は8月後半から9月後半くらいとなるため早稲の穂が実る頃であり、初穂を贈るなどの風習がありました。
室町幕府が公式行事として採用したこともあり、今でも五穀豊穣・豊年祈願を祈って「八朔祭」を行う地域があります。
八朔とは
- 読み方:はっさく
八朔は八月朔日を略した言葉です。
朔日は「ついたち・さくじつ」とも読みますが「朔」は新月を意味しており、旧暦(太陰太陽暦)において新月は毎月1日となっています。
そのため八月朔日は、旧暦においては8月1日と同じ意味合いとなります。
旧暦8月1日は、新暦では8月25日~9月23日頃の期間に訪れますが、その頃は早稲(早く実るお米)の穂が実る頃であり、それに因んで農民などの間で初穂を贈る習慣が古くからありました。
そのため「田の実節句(たのみのせっく)」とも言われています。
またこの時期は台風や病害虫の被害をこうむる事が多かったため、風雨を避け、順調な五穀豊穣、家内安全を祈ることを目的としていたという説もあります。
八朔祭
八朔は室町幕府によって公式行事にもなり、武家でも八朔の儀式が行われるようになりました。
また農民が五穀豊穣・豊年祈願として祭りを行うこともあり、多くはありませんが今でも全国で「八朔祭」を行う地域・神社があります。
八朔の行事や祭りの時期
八朔は旧暦8月1日のことですが、明治期に新暦を採用したことで、八朔の行事や祭りを行う時期が多様化しました。
- 旧暦8月1日に行事・祭りを行う地域
- 新暦8月1日に行事・祭りを行う地域
- 9月の特定日・特定曜日に行事・祭りを行う地域
主に上記のいずれかで行われています。
果物のハッサク
果物(柑橘類)としての「ハッサク」は旧暦8月1日頃に食べられるようになったから「ハッサク」という名前がついたとされています。
ただし実際にはこの時期にはまだ食べられる状態になっていることはほぼなく、冬に収穫されるのが一般的です。
八朔に関すること
八朔に関することを記していきます。
八朔の礼
1590年の旧暦8月1日に関東に入封した徳川家康が江戸城に入りました。
江戸時代、これにちなんでこの日は八朔の礼という武家の祝日として重んじられました。この酢h区拾は、正月に次ぐ祝日とされていたそうです。
ただし家康の家臣である松平家忠の日記によれば、実際の入城は旧暦7月18日だったと記されているそうです。
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